こずえのおしゃれ図鑑・4 ~70年代大衆ファッション編

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「アタック№1」を愛してやまない諸君なら、70sファッションにも並々ならぬ感心と深い愛着を持っておられるはずだ。
そしてモブシーンにも手を抜いていない「アタック」はファッションチェックの楽しみにも十分応えてくれる。
今回はそんなアタック的70年代大衆ファッションに注目してみよう。
 
 
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1971年、インターハイ静岡大会のバレーボール決勝戦会場にて。
ミニスカート、パンタロンスーツ、ワイドベルトとなかなかオシャレさんの一団です。
ミニ一色だった女子のスカートも70年代に入るとミディやマキシ、さらにはパンタロンジーンズ、ホットパンツと多彩なスタイルが登場してきます。
男子も負けていません。ここにもド派手なカラーシャツ+ファンシー色の背広の「ピーコックスタイル」紳士たちの姿が見られます。
ただ実際に着こなせてる人はなかなかいませんでした。
 
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スーツ姿にカウボーイのような帽子を被っているこの青年、大丈夫なのか?
アメリカ中西部ならよく見かけるスタイル。しかし日本でこんな格好してる人はちょっと・・・
70年代初頭、なぜか西部劇の『テンガロン・ハット』が大流行。
理由は全くもってよくわからない。なにしろ観光地では子供からおじいさんまでかぶってたくらいだから。
オン・オフのスタイルがまだ不器用だった時代の、レジャー・ファッションを主張する記号の一種だったのかもしれない。
団体旅行などで、おそろいのカラフルなテンガロンハットを着用するというパターンも多かったため、万博会場などお上りさん達のテンガロンハットだらけであった。
 
 
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インターハイ会場の常連、ダルメシアン柄の少女。
やたら目立ってた印象があるが、実際は席が奥でけっこう小さい。
しかしトックリ率高し。60~70年代は右を向いても左を向いてもトックリ、トックリに席巻されていた。
一流ホテルやレストランでもノーネクタイ入場の例外として認めざるオエなかったほどだ。
 
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この一角だけ妙に個性的な一団がいます。
なんかこの画だけ妙に素人臭いというか、少女マンガチックというか、人物のあからさまな適当さに対して洋服の柄や小物のディティールが変に凝っているのが面白い。
こういうバランスを無視して審美的に細部にこだわるセンスはいかにも女性っぽいが、描いたのも女性スタッフだったんだろうか?
よく見ると女の子のジャケットの合わせが全部左前になってるので男性の絵か?とも思うが、パイプをくわえた男子学生の服の合わせが今度は右前になってるので画自体が裏トレスの疑いもある。
 
 
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竜二君、頭じゃま。やや?後にいらっしゃる方々は、もしや!? 
 
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大木さん、池崎さん、それに美人の長谷さんじゃありませんか!?
隣は梶岡先生? な~んだ、来てるならそう言ってくれたらよかったのに!
大木と池崎の私服は15話に登場するが、長谷の私服シーンはアニメでは唯一だ。
 
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所変わってこちらニューヨーク。
さすが人種のるつぼと呼ばれる世界のスーパーシティだけあって人々の顔も服装も多彩だ。
『ヌチェートケニア!』を叫んで立ち上がったこのカフタンの青年、彼もカシアス・クレイのように白人の名前を捨てたアフリカ系アメリカ人だったのだろうか。公民権運動、ブラックパワー華やかりし頃のアメリカを彷彿とさせ興味深い。
スーツ姿の黒人は白人社会で成功したエリートという事だろう。
そんな彼も、ケニヤチームの奮戦に涙を流しヌチェートケニアを叫ぶ。
ところでニューヨーク編と言えば第35話の新井のセリフ、

『今ホテルの外をヒッピーが歩いてるのや。本場のヒッピーやで!』

が面白い。
わざわざ呼びに来るくらいだから「ヒッピー」が一人でウロウロしていたわけではなく、ラブアンドピースを叫ぶ長髪ジーパン集団の大行進だったに違いない。
またちょうどこの頃、ブロードウェイではミュージカル『ヘアー』も大ヒットロングラン公演中であった。

 
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出ました!『カメラを持った怪しい男』!
その行動は神出鬼没、記者章を偽造して報道席に潜り込むなど素人ばなれしていた。
さらに真っ赤なMGB(?)を乗り回し、オープンしたばかりの京王プラザに乗り付けるなどかなり派手。
正体は東南の雇った私立探偵だと思われるが、素顔はなかなかのイケメンであった。
実は飛垣の愛人だったりして。
この東南学園のスパイ『怪しい男』のスナフキン帽子に長髪、ビーズのネックレスというヒッピーファッションは、当時の良識派の人々が抱いた若者風俗に対する得体の知れぬ怪しさ、胡散臭さを表現しているのだ。
 
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フーテン発見!
 
フリーセックス大賛成。
我々は風俗の先端を行くフーテン族。アナーキーな芸術家でもある・・?
在校生や父兄に混じって、ちゃっかりカメラ目線を送る軽薄で物見高い若者。そのスタイルはヒゲにサングラス、ネックレスに膝丈のマキシ・ベストとヒッピーファッションがニクイほど決まってる。
連れの男は長髪にアーミー・グリーンのジャケット、ピンクのベルボトムと、これまたグーだ。(第79話)
 
みんな大好きヒッピーファッション。
そのサイケでアングラなスタイルは企業や権威による既成ファッションへの反逆であり、自由と若さを主張していた。
長髪は高度に制度化・均一化された現代社会に対する抵抗であり、カフタン(中東風のガウン)やビーズや革のアクセサリー、組み紐のヘアバンドなどはエスニックやマージナル(周縁)文化への共感を示し、西欧近代文明のグローバル化支配に対しての異議申し立てを表現している。
そしてフリーセックスは国家の最小単位である家族制度の解体を、マリファナLSDは超越的体験による霊感の獲得と魂の開放をそれぞれ目的としていたのである
 
しかしそんな思想も文化も日本に入ってきた時点ですでに甚だしい勘違いと劣化を伴っていた。
そして彼らうわべだけヒッピーファッションをまねた若者達はマリファナやLSDの代わりにシンナーを吸い、自堕落な日々を送るだけの「フーテン族」となったのである。
また芸術や思想方面のアングラ族も同じようなヒッピーファッションをしている者が多かったため、世間から一緒くたに「フーテン」と呼ばれるようになってしまう。
こずえたちが血と汗にまみれコートを転げまわっていた同じ頃、グリーンハウスと呼ばれた新宿駅東口駅前の植え込みではこのようなスタイルの若者達がアンパン(シンナー)片手に日がな一日寝転び、アングラ喫茶ではフリーセックスの相手を求め芸術論や政治談議にかこつけたナンパに励んでいたのである。
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これがフーテン族だ!!
 
 
 
 
 
 
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ヒッピー・サイケファッションと言えばこの人、山本寛斎。そのアバンギャルド精神は現在も衰るどころかますます旺盛。かっこよすぎるよね。左端が本人。一人おいて加藤和彦
 
 
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フーテン、アングラぶっとばせ!見よこのハツラツとした若さと清潔感、これぞ明るく正しい日本の青少年!
 
一方で当然ながら真面目な普通の青少年も存在したわけで、実際その当時でもフーテンやヒッピーを批判的に見る若者はかなり多かった。
彼らの普段着はここに見られるような襟付きのシャツやタートルネックのニットなど。あるいは家でも学生服だったりする。
右の少年のグレーとベージュのボールドな柄も懐かしい。この手の色柄で細身のカーディガンを一枚羽織れば、ムードは一気に60年代だ。
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ところで60sやGS好きの人なら全身ポリニットのコーディネイトは基本だよね。
高度成長期の日本を象徴するファッションのひとつが化繊とニットのコラボだ。
特にトリコット地のカットソーなどは60年代以降爆発的に普及する。
当初はニットマシンの生産性の高さが戦後の切迫した繊維需要と合致して世界的に大増産されたものだったが、カラフルで実用性に富んだ化繊の登場でニットウェアは実用とファッション性、何より経済性を兼ね備えた大衆既成服の決定版となった。
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一方、~69年辺りではまだジーパンは少数派だった。
原作漫画でもジーパンの男子は全く登場しない。
すでにミニスカが定番となっていた女子に比べ、当時の少年達のファッションがとてもダサく見えるのはそのためだろう。
本格的なジーパンブームは70年代に入ってから。ベーシックなストレートよりまずベルボトムタイプが先に広まった。
ブーム以前にもアメリカ映画やロカビリーの影響から『Gパン』愛好者はいたが、まだマニアックな不良アイテムにすぎなかった。それがヒッピーやウッドストック学生運動などの影響で反体制ファッションとして認知されると一気にブレイク。以降、学生、若者の普段着として定着するようになったのである。
それ以前は相当にオシャレに関心のある男子でない限り、カジュアルを気取ってみてもせいぜい中途半端なアイビー風お坊ちゃんスタイルになってしまうのが関の山だった。
若者にとってジーンズというアイテムがいかに偉大であったのかがよくわかる。
 
 
 
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その後の70sファッションはどうなったか。
ヤングパワー全開のイケイケ時代が一段落すると、若者も次第にコンサバ指向になる。

そんな中で、アングラや4畳半フォークのスタイルにうんざりした女子学生の間で広まったのが、ニュートラと言う似非お嬢様ファッションだ。
かっこよく言えばスノッブだが、要は下品丸出しの成金一家を手本にしたオバサンファッションである。
ニュートラはデコデコとしたブランドをひけらかし、サテンやシルクタッチのポリエステルを好む。
それは科学文明を拒否し、大地に根付いたオーガニックな自然回帰を志向するヒッピーや、ブルジョアの偽善を暴き権威や資本主義の悪を糾弾する学生運動の時代の、チープでナスティーなライフスタイルに対するあからさまな嫌悪を示していた。
そしてそれはキンキラの欲望丸出しで大量生産大量消費の資本主義に寄り添い、エスタブリッシュメントに憧れ迎合して何が悪いという開き直りであり、若さこそが正義であり美しいと成熟を拒否してきたそれまでの価値観(そもそもミニスカートがその象徴)と真っ向から反するものであった。
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次に登場した『ハマトラ』は横浜あたりの名門女子大生をイメージしたファッション。トレーナーやポロシャツ等、カジュアル色が強くなってギラギラした下品さは薄められたが、オバサン臭いのは変わらなかったね。
 
その一方で、アーリーアメリカンなど、はっきり言って「イモ」のダサい少女趣味スタイルも流行った。
少女趣味と言っても、『大草原の小さな家』や『赤毛のアン』のようなもっさりした田舎趣味である点が、現在のロココやゴスのロリータファッションとはちと違う。またカントリーと言ってもペザントやフォークロアなどのモードとも違った。
それは成熟を拒否するという点では60年代のヤングファッションと同じだったが、かつての世代闘争的なものではなく、ただ幼稚で白痴的なメルヘン趣味が前面に出たものにすぎなかった。
結局女の子はデザイナーたちが目指してきたセンシティブでアートなモードより、ヒラヒラフワフワのかわいい服のが好きだったのだ。
この流れは70年代後半のメルヘンや絵本、サンリオブームに合流し現代にも繋がる『カワイイ』カルチャー全般へと発展する。
男子学生のファッションも、下駄履き+ベルボトムから『UCLA』やアメフト柄のTシャツにカラージーンズという、同じ西海岸でもヒッピーとは真逆の、明るく健康的な(実態は空前の規模で麻薬が蔓延していたが)エリート大学生のスポーツカジュアルに移って行った。
 
こうしてことごとく60年代末から70年代にかけてのファッションは否定され、ベルボトムやアングラファッションは『恥ずかしい過去』として封印され葬り去られたのである。
また同時に『70年代』的な物と言えばもうダサさと恥ずかしさの極みであり、『アタックNo.1』も『巨人の星』とともに徹底的に笑いものにされ、コケにされたものだ。
 それが再び脚光を浴びるのは90年代後半。
かつてそれを着、封印した当事者達にとって、長髪やベルボトムが「ネオ・ヒッピー」として復活するなぞ思っても見ない事だったはずだ。

・・・などと人事のように言ってみたりする。
 
 
 
 
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ええ、わたしもこんなかっこうしてましたよ。 うわっはっはっは。