こずえのオシャレ図鑑~3・制服編

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かつて学生服といえば劣悪な品質、センスのかけらもないダサいだけの押し着せでしかなかったが、昨今は事情が違うようだ。
有名デザイナーやカジュアル系のブランドによる趣向を凝らした制服はかわいく華やかで、志望校選びの重要なポイントになっているそうである。

 

・・・昔では考えられん事である。
大体が制服なんて嫌いで嫌いで、なんとか着ないですむ方策はないかと日々汲々としてたもんだ。
ちょっと意識の高い学校では制服廃止運動も盛んだった。
しかしなんか色々なお題目を立ててたけど、結局はダサイ服が嫌だっただけで今みたいにオシャレな制服があればみんなニコニコして学校に通っていたと思う。
全くもって今の学生諸君がうらやましい限りだ。

 

さて学園ものである「アタック」にも当然たくさんの制服が登場した、と思いきや、改めて見ると意外にそうでもない。
試合ではカラフルなユニフォームが続々登場してきたが、結局コート以外で会うのはライバルの中でも限られた面子だけだったという事か。

 

そんな中からいくつかピックアップして見てみよう。



『ブレザー系』
人気の面で一時は完全にセーラー服を圧倒したかに見えたブレザー系。
どちらも起源は軍服にあるが、セーラー服が船上の作業服だったのに対しブレザーは集団でフォーマルを演出するドレスであり、ハイソで垢抜けたイメージの私立学校の制服にはピッタリであった。

 

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富士見中学
浜紀中との合併前、合併後の2パターンあるのはご存知の通り。
合併前はグレー、合併後はブルーのタイプである。

 

合併前の富士見中学の制服は、ミニのプリーツスカートにショート丈のS2Bジャケットである。
襟のパイピングやプラケット・フロントのシャツの前立てのディテールまで描き込まれており、なかなか気合が入っていた。これにボウタイ風に結んだ赤のリボンがかわいかった。なお画面では紫がかって見えるが、セル画を見ると青みの無いミディアムライトのグレーである。
 ところでサラリーマンのスーツといえば昔はチャコールグレー一色で、それゆえ反体制の嵐が吹き荒れた当時、グレーは唾棄すべき体制側プチブル、大人社会の象徴として、「ドブネズミ」などと揶揄され若者達から毛嫌いされる傾向があった。(実際の丼鼠(どぶねずみ)色は蔑称ではなく、れっきとした伝統色=和色の名前である)
富士見中の制服がグレーからブルーに変わったのも、学生側からすればフレッシュでオシャレになったと見ていいのかもしれんが、今見るとブルーは当たり前すぎて逆に合併前の旧制服の方がかっこよく見える。
 

 

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原作通りブルーの3ピーススタイルを採用した後期。これはIM仕様のベストスタイル。旧制服よりも大人っぽくなったが、OLとか銀行の女子行員みたい。
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・・・ところが冬服になると元のジャケットとスカートが復活。しかもネクタイだけは新制服のまま。 こりゃいったいなんじゃ?
多分、色を間違えて設定してそのままになってしまったのではないかと思われる。本当なら右のジャケットとスカートもブルーだったはずである。
実は第35話でその兆候らしきものが見られる。こずえ達を羽田に見送りに来た泉がなぜかグレーの制服を着て現れるのだが、廃止された旧富士見中の制服を浜紀中出身の泉が着ているというのはどう考えてもおかしく、この時点でコスチュームの設定が混乱していた事が伺える。

 

 
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  世界ジュニアバレーボール選手権・オールジャパン
蝶々のように結んだ大きな赤いスカーフがポイントだったが、合宿中と出発時のスカートの色が違うのに注意。
合宿中は黒、出発時は着用する紺ブレに合わせて紺のスカートに変わっている。
つまりユニフォームと同じように合宿中と本番では制服も変わっているのだ。

 

その点において、第35話で私服でこっそり見送りにきた北見と白河がこのブレザーを着た三島と対面したシーンは意味深いものであった。
それは特訓を耐え抜いた者だけが着る事を許される栄光の証であり、落伍者の二人にとって三島のブレザー姿は直視できぬほど輝いて見えたに違いない。
そしてこのような選ばれし者たちのチームの晴れ着こそが『ブレイザー』本来の姿でもあるのだ。
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ニューヨークの空の下、必勝の誓いを胸に闘志を燃え立たせるこずえ。 かっこいい・・・ でも前裾の合わせがおかしい?

 

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決闘・由比ヶ浜ならぬ、『決闘・富士見ヶ浜』!!イケてる富士見高校のグリーンの制服。

 

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富士見高校
ジャケットはグリーンのW4B。ブルーのネクタイ。
原作版では6B3つボタン掛けのロング丈であった。加えて狭い肩幅でコンケーブの効いたショルダー、ナローラペル、ナローなVゾーン、そしてハイウェストでシェイプしフレアーにさせたパコダラインのシルエット。
これらは60年代に流行したエドワーディアンやモッズスタイルをモードに進化させたフレンチ・コンチネンタルのシルエット、ディティールである。
通常、成長期の子供が着る学生服ではルーズフィットが常識。親も最低1年は着てほしいと新品はちょっと大きめを買うもので、ジャストフィットのハイファッション制服などマンガならではの夢のあるものであった。
アニメでも6ボタン以外はほぼ再現されているのがうれしい。
白いハイソックスを膝下まで伸ばして履くのも富士見レギュレーションのようである。

 

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美沢学園
ブルーのシングル。赤いリボン
ネイビーよりやや明るい青。たぶん、実物が存在したとするならミッドナイトブルーだと思われる。
名前もイカしてるが、実際このミッドナイトブルーは70年代のヤング・ビジネスマン達に好んで着られていた色だ。三原の青い瞳にもよく似合っていた。
富士見とは逆にソックスを全員三つ折りロールダウンにさせてる所が面白い。

 

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 東南学園
グレーのイートンジャケットにエンジのスカーフ。
かつて画質の悪い再放送で見た時、東南の制服はメタリックで無機質なモノトーンカラーに見えてテクノというかメトロポリスチックですげえカッコイイと思った。
が、リマスター版で見たらこんな色だったんでガッカリだよ。

 

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この他、山葉高校、白川学園、世界選手権日本代表などがブレザーで登場。






『セーラー服』

 

どうやってもオシャレにならない糞服だと思っていたセーラー服だが、最近では色々なバリエーションが登場し見違えるほどカッコよくなっている。
当然ながら「アタック」の舞台となった昭和40年代前半はまだ伝統的な定番服なので、あまり見るべきものはない。

 

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青葉学園
紺。白2本線(アップに寄ると2本になる)・白スカーフ
山本のジャイアントなセーラー服姿が目を引くが、潤沢な資本にあかせて有能選手を引き抜くスポーツエリート校にしては田舎臭いオーソドックスなセーラー服だった。
せっかく『青葉』学園なんだから、森の木児童合唱団みたいなエメラルドグリーンの物凄いセーラー服にすればよかったのにね。

 

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寺堂院
黒。ラインなし・白スカーフ
喪服を思わせる不吉な迫力で相手を威圧しまくる、八木沢三姉妹の黒いセーラー服。日焼けした胸元を大きく露出させているのも凄みが効いていた。
服の皺やディティールを水色のトレス線で描いていたのが変わっていたが、もしかしたら青い光沢の出るベロア素材のセーラー服だったのかもしれない。

 

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浜紀中学
紺。白1本線・エンジのスカーフ
いわゆる胸当ての部分がない、旧型セーラー服。
胸元に見えている白い部分は水兵襦袢と呼ばれる直線裁ちのシャツである。地元ではなぜかこのシャツを『セーラー』と言ってた。(セーラー服の下にセーラーとはこれ如何に?)
これがくせ者で、一見ボートネックのフレンチスリーブTシャツに見えるが実際は厚手のオックスを「貫頭衣」のように穴を開けて脇で縫い合わせただけのひどい代物であった。
上着はこの襦袢とセットになっており一応下着も兼ねているが、どれだけ着慣れても体に馴染まず、吸湿性も保温性も最悪で結局はこの下にもメリヤスを着込む事になる。
こんな不快で野暮ったい旧制女学校風のセーラー服から今風なブレザーになったので、浜紀中の女生徒達はみんな大喜びしたことだろう。

 

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東海中学
グレー。「名古屋襟」とも呼ばれる白カバー付きのジョンベラ襟、濃緑のスカーフ。
省略が激しいが、前裾のカットがあるのでジャケットをレイヤードするタイプだったのかもしれない。
だとしたらアタック的には非常に珍しい現代風の制服である。

 

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甲徳学園
青。赤1本線・赤スカーフ
スケ番といえばセーラー服。更生してまじめになったのに・・・なぜか私服の時よりスケ番に見えてしまう藤洋子。
罪な甲徳学園のセーラー服であった。
ロングスカートのスケバンスタイルは京都発祥と言われているが、マスコミが捏造したものを非行少女グループが真似、次第に広まって逆に本物になってしまったという説もある。
たしかにあまりにも様式的・マンガ的であるが、昭和40年代後半から50年代にかけてロングスカートのスケバンがウジャウジャ存在したのは事実である。
そしてこのスケバンスタイルの流行が、セーラー服を廃止しブレザー化を加速させる要因の一つとなったとも言われている。

 

この他、垣之内の福岡中学などがセーラー服を採用していた。











おまけ・・・由緒正しき女学生のセーラー服をごらん召され。
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(1940年 少女倶楽部)

 

ところで昔の女学校というとセーラー服一色のイメージが強いが、調べてみると案外そうでもない。
特に戦前はジャンパースカートの制服が目立つ。
これに冬はイートンジャケットやパットのないサックコート風の上着を着用するパターンが多かったようだ。
色も紺や黒ばかりでなくエンジや紫、からし色などもあり、中には本格的なツーピースを採用している学校もあったりして、戦前の女学生は思ったよりモダンであった。
ただし昭和16年以降はスフ製の『標準服』以外は禁止となるので、そのセーラー服自体も建前上消える事となる。(実際は物資不足でお下がり等の着用なら黙認されていた)

 

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昭和10年。典型的なジャンパースカートタイプの制服。昭和50年代ぐらいでも全然通用する。
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昭和12年、羽衣高等女学校の映画部。プルオーバーのシャツにシルクのスカーフ。モダンですね。
当時の映画部の部員は40人もいたそうだが、昭和12年といえば1937年。日中戦争が始まり戦時色濃厚となる時代である。